物ではなく、充実した心の贅沢を満喫しょう。 You can be rich without material possessions.(JEEエコカレンダーより)



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2011年11月4日金曜日

八ヶ岳連峰一望の場所

杖突峠から八ヶ岳を望む。



秋の心地よい日知人と彼が管理する森林観察に出かける。途中、峠の茶屋から八ヶ岳連峰が一望できる。ここは諏訪湖から南麓まで八ヶ岳展望の最適地と言えるかもしれない。この峠は高遠方面に行く人々で適度に賑わっているが、観光客はあまり知らないのではないであろうか。











2011年10月31日月曜日

白駒池も冬の眠りへ

深みあるブルーに。茶臼山と丸山の間を東西に走るR299号、通称


メルヘン街道の茅野と八千穂との中間あたり麦草峠から歩くこと1時間のところに白駒池はある。
ペンションの来客の刺激と陽気につられて久し振りに紅葉を見に出かけた。
この池は私の知人たちも昔を懐かしんだり、散策に手ごろと訪れているところである。すでに、紅葉は終わっていたが、人もそこそこで池は静かに深まる秋を湖面に映し出し、冬を待つ風情 であった。驚きは70歳は過ぎようかと言う女性二人や「40年前以来に訪れた」と多くの高齢者がここを拠点にハイキングしている姿である。標高2000メータは朝晩は冬である。小屋の主人は朝晩薄氷が張り、11月初めにに小屋も閉鎖の予定とか。池はより深い静寂に入り、来春を待つのである。白駒池はじっと湖面を見ているだけで心が洗われる場所のひとつである。



















2011年10月30日日曜日

夕花が輝く一瞬。

枯葉も夕映え。枯葉の秋ではあるが、夕日に浮かぶ枯葉は進化した別の花のように輝き、一つ一つが美しい。夕日は来る冬を迎えに行こうとしている花や葉を新しい花のように装い、美しい造形を作り出してくれる。


もう1週間もしない内に落ちてしまう、この夕日が作り出したひと時の花、私は「夕花」と呼ぼう。
明日には霜で白く染まり冬花に変わるかも知れない。初氷はすでに合った。
日は5時には落ちて。咲いた夕花も一瞬である。
今は5時にもなれば暗闇の世界に入る。八ヶ岳の麓の秋は日が落ちるのが早い。
でも、枯葉の音色を聞きながら、一杯の水割りの楽しみがある。まだ10月と言うのに、暖炉の火が早い夕暮れとともにスコッチの香りを思い出させる。今日は一人久し振りの水割りを傾けた。

先週の初め旧知の友来る。突然であった。久し振りに学生時代の友達が夫妻で訪れてくれた。長い間連絡していなかった友であるが、「友とは長い間音信なくとも、昨日にも会ったが如く会話が弾むもの」と悟りし。お互い歳を取ったものと、会話が切れない。秋は風にこのように、引き合わせ、人生を語らせる季節であるのかもしれない。

友は午後に入る前に「来年またくる」と次の目的地に向かった。ありがとう。

        (参考:すべての写真は画面上でクリックして見てください。)

静寂な紅葉を感じ取り・・・

装いの秋。四季をあらわす言葉で「装いの秋」という表現があるらしい。我が家の近辺はまさに紅や黄色やまだ変化のない緑などなどで自然は装っている。



コナラ林に出かけ、間伐する予定の林に入ると、木々が光に輝らされ、紅葉の内懐と外からの両面から樹木の心地よさと香り、風を感じ取ることができる。
知人のI氏の誘いで一日写真のようなコナラ林を歩く機会を得た。 樹木との静かな会話である。時折枯葉がスーと落ちる。音がするでもないが何かが聞き取れる。なくした物、忘れていた物が再び手に入ったここちである。
暗闇の世界に入ると、退化しつつあるもの、当たり前になっている「耳」や「鼻」や「皮膚」など五感が磨かれ、ふとその存在をあらためて感じると言う。自然の懐の中は感性を磨く最大のツールである。