物ではなく、充実した心の贅沢を満喫しょう。 You can be rich without material possessions.(JEEエコカレンダーより)



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2011年10月31日月曜日

白駒池も冬の眠りへ

深みあるブルーに。茶臼山と丸山の間を東西に走るR299号、通称


メルヘン街道の茅野と八千穂との中間あたり麦草峠から歩くこと1時間のところに白駒池はある。
ペンションの来客の刺激と陽気につられて久し振りに紅葉を見に出かけた。
この池は私の知人たちも昔を懐かしんだり、散策に手ごろと訪れているところである。すでに、紅葉は終わっていたが、人もそこそこで池は静かに深まる秋を湖面に映し出し、冬を待つ風情 であった。驚きは70歳は過ぎようかと言う女性二人や「40年前以来に訪れた」と多くの高齢者がここを拠点にハイキングしている姿である。標高2000メータは朝晩は冬である。小屋の主人は朝晩薄氷が張り、11月初めにに小屋も閉鎖の予定とか。池はより深い静寂に入り、来春を待つのである。白駒池はじっと湖面を見ているだけで心が洗われる場所のひとつである。



















2011年10月30日日曜日

夕花が輝く一瞬。

枯葉も夕映え。枯葉の秋ではあるが、夕日に浮かぶ枯葉は進化した別の花のように輝き、一つ一つが美しい。夕日は来る冬を迎えに行こうとしている花や葉を新しい花のように装い、美しい造形を作り出してくれる。


もう1週間もしない内に落ちてしまう、この夕日が作り出したひと時の花、私は「夕花」と呼ぼう。
明日には霜で白く染まり冬花に変わるかも知れない。初氷はすでに合った。
日は5時には落ちて。咲いた夕花も一瞬である。
今は5時にもなれば暗闇の世界に入る。八ヶ岳の麓の秋は日が落ちるのが早い。
でも、枯葉の音色を聞きながら、一杯の水割りの楽しみがある。まだ10月と言うのに、暖炉の火が早い夕暮れとともにスコッチの香りを思い出させる。今日は一人久し振りの水割りを傾けた。

先週の初め旧知の友来る。突然であった。久し振りに学生時代の友達が夫妻で訪れてくれた。長い間連絡していなかった友であるが、「友とは長い間音信なくとも、昨日にも会ったが如く会話が弾むもの」と悟りし。お互い歳を取ったものと、会話が切れない。秋は風にこのように、引き合わせ、人生を語らせる季節であるのかもしれない。

友は午後に入る前に「来年またくる」と次の目的地に向かった。ありがとう。

        (参考:すべての写真は画面上でクリックして見てください。)

静寂な紅葉を感じ取り・・・

装いの秋。四季をあらわす言葉で「装いの秋」という表現があるらしい。我が家の近辺はまさに紅や黄色やまだ変化のない緑などなどで自然は装っている。



コナラ林に出かけ、間伐する予定の林に入ると、木々が光に輝らされ、紅葉の内懐と外からの両面から樹木の心地よさと香り、風を感じ取ることができる。
知人のI氏の誘いで一日写真のようなコナラ林を歩く機会を得た。 樹木との静かな会話である。時折枯葉がスーと落ちる。音がするでもないが何かが聞き取れる。なくした物、忘れていた物が再び手に入ったここちである。
暗闇の世界に入ると、退化しつつあるもの、当たり前になっている「耳」や「鼻」や「皮膚」など五感が磨かれ、ふとその存在をあらためて感じると言う。自然の懐の中は感性を磨く最大のツールである。




2011年10月14日金曜日

捨て猫来訪。happyな生活へ。

9月末ごろから捨て猫が。9月も終わりかと言う日に茶色のかわいい子猫が我が家の玄関にやってきた。首輪もなく、目を病み、風邪気味でくしゃみをしている。かなりやせ細り玄関でか細い声で鳴いていた。 かなり虐められたのか人を見る毎に弱弱しく「フー」と威嚇するが、すぐに「ニャー」とないて私を見る。可愛そうになり餌をやり、それ以来朝、昼、晩と我が家の玄関にくるようになった。10日ほど過ぎて、ようやく餌を私の間じかで食べ始め、食事に夢中になると少し背中をなでさせる。そして、食事が終わると我が家の猫の散歩にあわせ、我が家の猫を遠まきに眺め、しばらくするとどこか散策に行ってしまった。私は可愛い顔をした茶色の猫から茶色の美人と「チャビー」と名前をつけ呼んでいた。
寒くなると命にかかわる。誰がこんなところに捨てるのか?ここは標高1300メータ、真冬は時には零下15度、20度になることもある。ご近所でも過去に野良猫がなくなったと聞いている。家内は猫好きで 、冬越しができないのではと心配。我が家には2匹飼い猫がいる、いかにするか。都会と違い暖を取るところはない、外では無理だよと毎夕飯時の話題になり始めた。
写真は庭のデッキから見つめる子猫、白樺の木の前で虫を眺めるあどけない姿である。生後5ヶ月位か。10月に入り朝晩は厳しくなってきた。
飼い主見つかる。そんなある日、2週間くらいたち私への警戒心が少し薄くなり始め時、幸いかなご近所のMさんから「捕獲できない、我が家で飼うので」とお話をいただいた。これで子猫も安泰と早速捕獲作戦開始であ る。チャビー捕獲。お話があってまずは家内とMさんトライ。残念ながら簡単にはいかず。そして私が。餌を与えてそっと背中をなで、瞬間確保したが子猫と言え強い力で暴れ思わず離してしまう。一度取り逃がすと警戒心が強くなり食事も簡単にはよりつかなくなった。1メータ弱まで近寄れた距離が3メータ以上離れ、人がいると食べにこないのである。





2日目の夕方であった。そこに救世主Pさんのサポートで捕獲器を借りて頂けることになり、3日目の朝を迎えた。


チャビーはまだか。いつものように庭に8時30分ごろ我が家の二匹の猫の散歩にでる。来た。お腹がすいている様だ。でも、警戒してかごの餌には入ろうとしない。我が家の猫の傍に 来てしばらく遊ぶ。呼んでもか細い声でなくだけ。お腹は空いているはず。そこで、少しだけ餌を器に入れ庭で食べさせ 、その後食器を持って捕獲器の方へ移動した。ついてきた・・・・。捕獲器の入り口に少し餌を置いて少し離れると、子猫はまず入り口近くの餌をつかんですぐ離れた。それを食べ終わるとまた、戻ってきた。大丈夫と思ったのか、お腹が空いてる、朝ごはん沢山ある・・・と思ったか、入った!!。捕獲器の奥の餌を食べに。「バシャー」と音がして入り口が閉じられた。奥の餌の前にある台を踏むと入り口の留め金がはずれ、扉が閉まる仕掛けになっているのである。
以外に暴れず鳴いてはいたが。早速連絡。子猫はこれからHAPPYな生活に入れる事となった。すでにホットカーペットを置いてもらい、ちょこんと座っていると言う。落ち着いたら病院へと・・・。これで気になっていた小さな命が救われる、ホットした秋の一日であった。気にしていた近隣の人々にもいずれ報告しよう。

2011年10月8日土曜日

ようやく撒き小屋も完了

撒き小屋三連ちゃん完成。年の春から考えていた撒き小屋最後の 小屋が完成した。水平も目検討であるが、いただいた残り資材を使っての三番目の小屋である。これで表玄関側と裏のデッキ横と三連小屋で我が家の撒き保管場所は完了した。野ざらしの撒きも取り敢えず小屋にいれる。
新しい庭への入り口を作る。秋の過ごしよい日々はガーデニングに最適である。撒き小屋が完了したので庭の駐車場側からの入り口を作った。



かねてから、細い小道を抜けて入る入り口が欲しく、白樺の横をくぐり入り口に向かう小道のアプローチを配した。春には花の間を抜けて玄関へ到着である。

納屋の整備。ペンション向かいの我が家の入り口とその前の作業小屋も少しすっきりするようにと、玄関は傾いていたコンクリーとめくれた箇所の多いタイルを剥ぎ取り、枕木で整える。また、幅3メーター程の物置を壊し(黄色い壁は隣の家)隣との境に短い垣根を配し、作業小屋の入り口付近を透明アクリルで仕切る形で整備した。大工を趣味とする知人の助け(ほとんど彼が)を得て、入り口前あたりをすっきりと改修した。ここに木や花をあしらい玄関らしくする段取りである。
作業合間に高遠方面から見る八ヶ岳。上記の作業をしている途上、知人の誘いで、知人が管理している山を散策。きのこ採りのシーズンで時折山の持ち主関係者が「まつたけ」狩りなど訪れていた。空気も澄み、乾燥しているので散策が心地よい。

2011年9月18日日曜日

赤ブルーの夕焼けそしてジャンボな草

夕焼けが・・・。この頃は夕方になると空を気にしている。特に雨上がりの晴れた夕方は気になる。写真は久し振りに美しい秋夕焼け。9月9日(金)ガーデニング

に精を出しているとき、ふと見上げた西空が今にも暮れようとしていた。急いでカメラを持って文化園に出かける。
澄み切った空に夕日が輝き、公園のもみの木の先端が赤い影を落とす。

夕日は青く、赤く、朱色にと変化し雲が色ずく。都会でも時折見られるが、なぜかここでは空気が澄んで落ち着いた心地で見られる。
この色の変化を見ていると、自然の懐の深さをいつも感じ、宇宙のちっぽけな自分の立ち位置を実感させてくれる。


畑の草のすごさよ。夕日のの美しさが自然の美を感じさせてくれる対象として、畑の草の大きさに太陽 と紫外線と土のエネルギーを感じる。写真は2メータ以上ある借りている私の畑の草である。対象物がないのでわかりずらいいが、背丈のはるか上、手を伸ばしても先端には届かない。草の幹は直径4センチはあろうかと思う「草の大木」である。
このような草の中にきゅうり、かぼちゃ、トマトなどなど15種ほどの野菜を植えている。無農薬、有機の自然農法である。夏にこられたお客さんにはここで採れた野菜をふんだんに出すことに。あまってももったいない。お互い喜ばしい限り。

















2011年9月3日土曜日

小さい秋見つけたひと時

秋色がある公園のベンチ。






久し振りに自然公園を散策、秋があちらこちらに色づいて小道のベンチが「どちらへ歩く。もう一度ここで考えて」からと言っているかのように朝陽が差し込んだ小さな秋があった。
葉っぱ黄色く色づき、芝生の緑が陽に映え、小さな秋を風とともに伝えてくれた散歩道であった。
地にしっかりと根を張った樹木はこれまでの厳しかった、またこれからも厳しいであろう風雪をしっかりと受け止めていることを主張しているように、朝陽の中で自然のメッセージで送っているのであろう。
夕立のあと。堀辰雄等が療養生活を送った富士見高原病院からの帰途、夕立上がりの空がどこまでも高く、雲が流れる合間に見える山々に見とれ、家路へは迂回し私が好きな一本の大木と石仏のある八ヶ岳連峰から諏訪湖の端が少しかかる辺りからそびえる北アルプスの見えるところまで走る。高く深い青空と雲に見とれてしばし立ち止まっていた。初秋 の夕暮れ時を愉しんだ。







2011年8月24日水曜日

秋を感じに・・・。そして新たにまき小屋で冬支度

秋風の心地で・・・・。久しぶりに近所を散策した。
白樺の奥にオオハンゴ草が一面咲き乱れ輝く。グリンとイエローが輝く。しかし、この草は外来種でいたって強くやがて他の草を駆逐するので困り者でもある。
我が家から歩くと30分、今日は車で秋を感じる写真散策である。
トンボが草原の草に止まり、空が輝く。都会では30度以上の真夏日というに、ここは23度草原の風である。



天高く馬肥ゆる秋がそこにあった。









き小屋新設。建物裏に新たに撒き小屋を作る。最終的には三棟であるがとりあえず二棟、材料は炊きつけようとして貰った唐松の板切れ。柱はこれも以前撒きようにともらったものである。屋根材として板切れの風情を生かし、落ち着いた小屋をイメージしたが。その小屋の前には花台を置き、いずれ花や木や陶器などをおいて楽しめるようにする計画である。我が家の庭にはあちこちから山藤やアケビなどのつた植物が芽を出す。これを動かすことなく出来るだけ利用して、庭を造っている。切った白樺の枯れ枝を組んだ足場に着けここにつた類を這わす、写真が我が家の裏への入り口である。この場所は裏とはいえ、道路からよくまさにメインの入り口ともいえるので、ここも訪れる人に楽しんでいただけるようにと考え中である。





















自然との共生は自然のあるがままを受け入れつつ、自分の思いに近づける知恵の出し合いでもある。自然を動かすのは簡単であるが、あるがままを受け入れ手を入れるのも面白い。